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2011-02-05

了見が狭い私

 「パワースポット」という言葉が、自分は好きではない。

自分が唯物論者だからとか、そんなたいそうな話ではない。
もちろん、ご利益を求める行動を否定するつもりもない。
(「大丈夫ですか」と聞きたくなるパターンもあるだけど)

この和製英語(だよね?)が軽く聞こえて、好きになれないだけ。
 かえってその場所に失礼な気がする、と言うか、まぁそんな程度。
何度聞いても安直な言葉に思える、その響きがダメなのかもしれない。

なんにせよ、単に好き嫌いの話。それ以上でもそれ以下でもない。ことにしておこう。
(もっとも、こんなところはこっちから「勘弁してください、その説明」と思う。
 思うが、個人の体験までは否定しないしできないし。それはそれで別の話)


どうせならご祭神やご本尊、ご開祖(や代々守り伝えてきた先人たち)に想いを馳せ、尊んでもらいたい…ってあれ?俺ってこんなに古風な人間だっけ(苦笑)。

などと俗人の極みたる自分なんかはついネチネチ書きすぎて、自己嫌悪に陥ってしまう。
(表現力の無さも原因の一つなんだけど)

一方、春日大社さんからおしるし(携帯ストラップとして使用中)と一緒に送られてきた「春日」という広報誌(?)の84号(平成22年8月1日発行)、編集後記にこんな記述があった。

 本年は平城遷都1300年ということで、大勢の方が奈良に、そして春日大社にお出でになります。中には、今はやりの“パワースポット”を求め雑誌を手にお出での方もいらっしゃいます。此く言う“パワースポット”について、よく若いおネエ様からお尋ねがあり、その時いつも通りの、神社のご由緒と神さまのご新徳についてお話しをすると、大変喜んでご納得をされます。ということで、何か横文字になって流行の先端のようですが、実は昔と変わらない、日本人の感性というものに回帰している、というのが実感です。(後略)

さすがプロ、あしらい方が上手すぎる。
(でもちょっと毒が含まれているような…気のせいだろうか)

信心の発現の新しい形、とでも考えておけばいいのか。
またしても自分の了見の狭さというか、人間としての未熟さを痛感した次第。

でも春日大社さん、夫婦大國社さんで「ハート絵馬」なんてことやってたりして、複雑な心境でもある。

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